結婚後、うつ病になった時。
起きていれば苦しくて、胸中に手を入れてかき回してやりたい衝動に駆られた。だから眠ってしまうことで苦しみから解放されようとした。結果、日中にもかかわらず睡眠導入剤を使用した。
――定刻より早く帰宅した夫が、睡眠薬を飲んで布団に潜り込んだばかりの私に声をかけた。
「もう寝ちゃう?」
「苦しいの……寝ちゃわないと苦しいから」
「そう。じゃ、ちょっと打ちっ放しに行ってくるよ」
「え……ゴルフ?」
「だって今から寝るって話でしょ?なんだ、せっかく早く帰ってきたから外に食べに行こうかと思ったのにさ」
「………」
旦那の言い分はきっとこういうことだろう。
〝せっかく外食に誘おうと考えたのに今から寝る?今何時だと思ってるんだ?そんなだから夜中に眠れないって困るんじゃないの?うつ病?そんなの、まずは規則正しい生活態度じゃねーか〟
わかってる。
あなたの言いたいことは間違いじゃないよ、でも、夜に眠れなくなること以上に今を眠らなければならないほど苦しいんだよ……。
もう、支えて欲しいとは思わない。でも突き放さないで欲しい。ただそれだけだったんだ。
結婚式での愛の誓い。
〝病めるときも悲しみのときもこれを助け真心を尽くしますか…〟とは上手くいったものだ。もとは赤の他人が人生を共にする〝意味〟が問われるのはそこなんだろうと思う。
互いに心配し、何かあれば思いやれる相互の愛情。
だがしかし、根っこの愛情に格差が生じればどうだ?
たとえば風邪をひいた時――、風邪なんてちっぽけな日常の風景だろう。
それなのに、妻が夫に…夫が妻に…相互の愛情に明らかな格差を感じれば強い猜疑心を抱いてしまうものじゃないか?
こんなことがあった…
高熱にうなされて寝込んでいた私。
そういう状態の妻を気にするでもなく、テレビをつけて声高らかに笑っている夫。そうしていつの間にやらぐっすり眠りこけている……。
真夜中にひとり、ビッショリと汗をかいて氷枕を首筋に押しつける私は、熟睡中の夫が布団を蹴っているのを見てそっと布団を掛けてあげた…。
なぜなんだ?
受け取ることのない優しさを、なぜ私は与えるんだ?
憤りながら、もうひとつの感情が生まれる。
愛情や優しさの見返りを求めるなんて〝嫌な女〟だと。
結婚観、夫婦観。独り相撲をとるようにして…私は混乱していた。
他方、旦那が風邪をひいた場合の話をしよう。
ちょっと大げさじゃないか?というほど、彼は苦しいと主張してくる。
もし、あてつけがましく私がされる態度を同様にして返してみるとどうなんだろうか?
きっとそれは、妻という立場には許されざる行為だとなるはずだ。
パートナーを思い遣る心の格差が私をジワジワと憤らせる。
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