子供のように夫に世話が焼けることがあった。
もっとも、当時は子供がいなかったから〝子供のように〟と言いつつ、子育てをしたことの無い私が言うのもなんだかおこがましいのかも…それはさておき、水商売時代には男なんて子供のような生き物だと思ったことは少なくなかったが、結婚して旦那のこと〝子供みたい〟と感じたことがあった。
普段はあいさつ抜きに勝手にドアを開けて帰宅する夫。
「ただいま」のひと言ぐらい言えぬものか?とちょっぴり憤りながら迎え入れる毎日に、どうしたことかその日は「ただいま」と添えてドアを開けた。
ははーん…その引き替えになにがあるんだろうね?と思いきや、ふと彼の顔をのぞくとなんだか血色が悪い。
「顔色悪いね、どしたの?」
「頭が痛いよ、風邪かな?苦しいんだよ」
新婚時代は夫の体調の変化に神経をとがらしていた。
理由は、どのくらいの訴えがどの程度の体調不良なのかがリンクしなかったからだ。たとえば、苦しい苦しいと言いながらも実際はたいした程度では無い時だってある。
妻として顔色や仕草や最近の生活状況などを絡めながら〝実際はどの程度?〟と判断しながら、じゃあ病院に行くのか?常備薬で対処するのか?などの直感力が新婚時代には身についていなかったから。
それが婚姻生活を続けていいると、本当に苦しいのか?仮病なのか?なんて目を見りゃすぐわかるほど〝感に磨き〟がかかってくる。
その結果、私の旦那は少々の不調や痛みでたいそうに訴える性質だと知らされた。
余談だが、女に比べて男は痛みに弱い。男は強い生き物に違いないが女に比べて痛みに弱いのが男だ。
話を戻そう。普段、ただいまなんて言わずに玄関を開ける夫が〝ただいま〟と言いながら体調不良を訴える心理背景にあるものはなんだ?
それは、こんなにつらい状況の自分に優しくして欲しいというアピールだった……。
まるで子供だ。
私がうつ病で動くことができずに布団に潜り込んでいる姿を半ば怠け者扱いする夫なのに、自分の体調が少々悪ければいの一番に〝心配よろしく〟の態度ってなんだ?
繰り返す、まるで子供だ。
内心、たいしたことはない〝ただの風邪だ〟と思いつつ、表情は同調させずに優しさを装う私。
「大丈夫?つらそうだね…しっかり休もうね」
そう言うと、そう言って欲しかったような表情がスウーッと浮き出てくるあたりの素直さだって、まるで子供だ。
私にとって、いちいち配偶者に言うには気が引けるような微熱であろうが、夫にとっては深刻な体調不良であり、同時に配偶者に理解と共感を取り付けることが重要だ。
そして、私が望み通りのリアクションをすることで夫は満足するのだった。
満足さえすれば、そもそもたいした風邪でもないのだから普通にご飯を食べて普通にお風呂に入る彼だ。
どうなってんだろう……この子は?
なんて愚痴は言うべからず…テレビを見ながら笑っている彼に「クスリを飲んでおく?」と聞くと、いらないよと応える彼。
そりゃそうだ、これぐらいでクスリ飲まなくったって全然大丈夫さ…
そういえば私にも同じような経験がある。
子供の時、ちょっとしたことでも母親に大袈裟に訴えた。すると母親はいつだって優しく私のことをかまってくれた。安心した。その安心はとても居心地が良くて、なんだかフカフカのクッションに包まれているかのような気持ちよさだった。
子供の時に経験した〝かまってもらえる快感〟を、大人になって自分の配偶者に求められる不思議……
夫は電化製品が大好きだ。これは世の旦那に共通する傾向ではないか?
だいぶ汚れてしまったトースターをそろそろ買い換えなければという話になり、夫と家電ショップに出かけた。
すると夫は子どものように、そう…、小さな子どもがおもちゃ売り場で目をキラキラさせて陳列してあるおもちゃに釘付けになるように、最新のテレビやパソコン、関連機器に心を奪われていた。
結局、目的の品は買わずに店を出たのだが、店から持ち帰ったカタログの束に釘付けになっている夫はまるで子どもである。
私の夫は子供のような人だった。
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