妊娠したいと焦る、子供が欲しいと焦る。
妹や友達の妊娠と出産の知らせを聞くたびに強い〝焦り〟が生じた。焦りを生む根源である妊娠したい気持ちは、結婚して離婚の二文字が周期的に頭をよぎるような妻であったとしても、別の頭で無意識に望んでいるものだと思う。
不思議だと思う……
好きな人の子供が欲しいという感情と私の赤ちゃんが欲しいという感情は、妊娠と出産という結論的には同じであるが、ふと我に返ると、この先に離婚が前提にある結婚生活であっても子供を産みたいという気持ちは消失しないのだ。私の場合……。
それは、あなたの子供が欲しいのではなくて私の子供が欲しいということなんだろう。
妹も焦っていたんだろう…高額な不妊治療の是非はともかく、年齢ばかり重ねては焦る、妊活中の妹。
妹は結婚してもなかなか妊娠せず、不妊治療まで受けていた。遠目に見ていても、妊娠したいと焦る気持ちはガツンと伝わってきた。
自分だって妹のように妊娠したいくせに、不妊治療を積極的に受ける妹のような行動力が無い私。同時に、私には妊娠したい焦りを知られることが恥ずかしかった。
とにかく妹は、妊娠に成功するために躍起になっていた。
妹から妊娠の知らせを受けたのはいつだったか……努力が実ったのか妹が妊娠に成功したと電話で聞かされた。
通話を閉じた後、私はさめざめと泣いていた。
涙の理由がわからないが涙が流れる。
きっと…不妊治療をしてまで子供を望んだ妹の考え方に首をかしげたような評価をしておきながら、心の根っこでは妹以上に妊活や不妊治療そしてなによりも夫婦生活の無さに対して負けて悔しかった、悔し涙だったんだろう。
子供が欲しい……
本当の私は子供が欲しいと切に願っていた。
旦那からは〝こどもはまだいらないよ〟と聞かされていた。妊娠は単独ではなく夫婦の協同があって生じる結果である。
私がひとりで妊娠したいと思っていても相棒に〝気〟がなければ妊娠は成立しない。
友人知人の出産報告が届く……
「ほんと!よかったね!おめでとー!」
心底、祝福できると同時に、祝福した分だけ自分を悲観する。誰かの出産報告を聞くたびに焦りは加速する…そんな心理状態だった。
そうはいうものの……
子供はいらないと言っていた夫が、いつしか避妊を行わなくなった。
加えて、今日は排卵日だからという理由で誘えばすんなり行為に及んでくれるようになった。これは〝産んでも良いよ〟という彼からの無言の意思表示なのか?
私の夫はどうもこういうところをあいまいに表現する傾向にある。
「そろそろ俺たちも子供が欲しいね」と言えないのはなぜなんだ?「まだ子供はいらない」とははっきり言えるくせに…だ。
つまり、子供はいらない気持ちへの傾きは依然として変化していないということか。
結婚して子供がいないことについて、私はあまり深刻に考えないことにしていた。
けれども、妹の出産とかわいい赤ちゃんを抱く姿を見ていると、本当はたまらなく赤ちゃんが欲しいと思っている自分に気づいてしまったのだ。
早く赤ちゃんが欲しい…
早く妊娠に成功したい…
焦るほど、歳は進む。子供を産むなら二人が良いから早く一人目を産まないと二人目の妊活には自分の年齢が危うい…
こういう悩みをもっとも伝えるべき相手は旦那であるにもかかわらず、仮に悩みを打ち明ければ彼は強いストレスを抱くだろう。
彼は妊娠と出産について悩んでいない。
「そのうち自然な感じで…」と言う自体、わかっちゃいないのだ。
妊娠しやすい体質、環境、年齢、自分の生活条件や人生設計に応じた育児計画。
私だけのいろんな要素と条件に応じた希望は年齢から逆算して考えねばならないことも多い。男にはそういう計算ができないのだろうか?
それともうちの旦那だけができないのか?
あるいは、私は愛されていないのか?
私との子供は必要ない?
じゃあ、離婚?
ここで冒頭の話に戻ると、離婚が前提であっても子供が欲しいと思う嫁は少なくないのではないか。
私は、夫の子供が欲しいのではない。
私の赤ちゃんが欲しいのだった……。
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