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結婚を後悔させる理由があふれている
それでも離婚しないのは
愛が消えぬから・・・?
「結婚なんて面倒なだけ」そんなことを口ずさんでいた夜オンナも、いつしか妻となった。そして、生まれて初めて経験する〝ひとりではない幸せと喜び〟けれど幸せなんてつかの間だった・・・結婚とは・・・後悔するもの? 過ぎゆく時間に問いを立てる・・・

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新婚夫婦のスキンシップは言葉よりも大事なのだ


完全に主観ではあるが…
スキンシップの不足する夫婦はうまくいかない。
と、そう思うのだ。

スキンシップと言うと夫婦生活そのものに焦点が向けられてしまうが、そればかりではない。ベッドの上だけではなくて日常生活には言葉や態度に少しのスキンシップさえあればもっと伝わるようなことだって多い。
愛情って、流動的でつかみようのないようなものであるだけに言葉だけではなくスキンシップをともなうことで安心するものだろうし、言葉無くともギュッと抱きしめてもらうだけで伝わってくる優しさだってある。

妻となるまでは夜の女だった私。
商売上、疑似的な恋愛も数知れずだった。
そのせいか、私の場合はとくに〝たしかな愛〟を相手に求めてしまう傾向が強いのではないかと思う。
平均的な愛情表現では常に相手をうたがってしまい、なにかしらの不安をぬぐいきれないのだ。だからこそ、結婚とは愛を確定させる行為だと錯覚しやすい女でもあったのだろう。そして、錯覚だったとしても愛のあるスキンシップや言葉に幸せを感じていた私。

一方、結婚するまでは猛烈に私にアタックしてきた彼は結婚してしばらくするとクールダウンするのも早かった。
まるで、クロスして逆向きに離れていくグラフのような私と夫の愛の深まり度合い。
晴れて専業主婦となった私がようやく確定させた愛のある人との暮らし。
一方、そもそもスキンシップだの愛情表現だのという面倒な行為がきらいな夫。
よくよく考えれば二人の愛の価値観がクロスして離れていく過程は容易に予測できたのかもしれない。

結婚して一年ほどが過ぎた頃だった。
夫は私に触れること、私に触れられることを敬遠するようになった。
機嫌が悪いときであれば「さわるんじゃない!」と怒られてしまうときだってある。
もちろん、ベッドの上でも同様だ。
なぜなんだ?
あれほど熱烈に私を求めた男だからこそ、求められることに飽きてしまうほどだった私が逆に惚れてしまったんじゃないか……。
それなのに結婚して一年で、なんだか夫婦関係はそのままの状態で夫に捨てられたような気持ちにさえなるのだった。
夫の愛情を疑い、求める毎日。
スキンシップなんてなくたって……そう、夫は言い続けていた。でも、新婚で赤ちゃんもいない若い夫婦が熟年夫婦のように言葉や素振りだけで通じ合うだなんてウソに決まってる。だから熱烈に愛された夫を今度は時間差で愛し始めた私にとって「さわるんじゃない」とおこられることはとてもとてもつらいことだったのだ。
やがて精神的に機能不全となり自虐的になってしまう私。

結婚して後悔することはこういうことなんだろう。けれども離婚したいと同時に思うことはなかった。

離婚なんてしたくない、そうだ、私は愛情にすがっていたんだろう。
愛されたゆえに自分はずっと愛されると勘違いしてしまう。だから、夫からの愛にすがっていたのだ。
私が辛いときはそっと肩を抱いて欲しい。
あなたが辛いときはそっと背中に手をあててあげたい。
スキンシップの根っことはそういうものじゃないか。
そして、そういうことが夫婦関係継続の土台となり積み上がり年輪を刻みながら…やがて老いた二人ははじめて言葉や表情だけで通じ合うものじゃないか?

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