結婚で得られるものが人生の安定とか約束だとか愛の独占と言うならば、結婚で失うものは人生の自由だったり可能性だったりする。
そうして離婚で得られるものは、失ったものの奪回であり束縛からの解放であり、失うものはやはり、それまでの愛とでも言おうか……なんだそれなら結婚なんてしないほうが後悔しない人生が歩めるはずじゃないか。と、思うときは誰しもあろう。
けれど私の場合、いくつもの結婚否定論をかすかに上回る、愛への信頼があった。この人と結婚すれば幸せになれる。
素直に思えるこの気持ち。それは私の気持ちをいつもいつも下支えした、結婚を肯定する大前提だったのだ。
それもつかの間、結婚してからの私はいつも後悔し、離婚を考え、プロポーズを受け入れた自分を否定した。
なぜ結婚したんだ?なぜ結婚を後悔するんだ?
この人となら幸せになれる?
噓をつけ、今こうして悩んでいる自分のどこが幸せなんだ?
それが事実だ。
結婚に夢と希望を託した結果、失意に満ちた毎日。それが事実なのだ。
結婚して後悔しないには、離婚を考えさせられない結婚生活であるためにはなにが必要なんだろう?
そんなことを考える日々が続いた。夫婦なんてもとは他人。
以心伝心でなんでも理解できるように見えて実は何もわかりあえない関係でもある。そんな二人をつなぐのはやっぱり〝言葉〟なんだろうと思う。
夫婦関係を下支えする言葉の中でも〝ありがとう〟は〝アイシテル〟よりも大事な言葉なんだろうと思う。
「毎日毎日家族のために働いている!」「主婦業だって大変なんだから!」と、口走るのは、日頃から〝ありがとう〟が欠乏しているからだ。
ありがとうと互いに言い合える二人なら、結婚生活は義務ではなくなるはず。
私はそう思うのだ。
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