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結婚を後悔させる理由があふれている
それでも離婚しないのは
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「結婚なんて面倒なだけ」そんなことを口ずさんでいた夜オンナも、いつしか妻となった。そして、生まれて初めて経験する〝ひとりではない幸せと喜び〟けれど幸せなんてつかの間だった・・・結婚とは・・・後悔するもの? 過ぎゆく時間に問いを立てる・・・

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親の介護が原因で親子の縁が切れてしまった話


親の介護について悩む子どもは少なくない。

母か父のいずれかが要介護となった場合、介護問題を子ども抜きで解決するには施設入所か老老介護のいずれかだろうと思う。
あるいは、子どもが親の介護を積極的に行うというケースもあるだろうが、おそらく子どもの負担は半端ではない。
子どもには子どもの家庭があるだろうし、居住地が親と離れていれば物理的に介護できないことも考えられる。
だから、介護施設への入所やホームヘルパーなどの介護サービスの利用は選択肢として第一候補にあがるだろうし、欲を言えば、高齢問題はできるかぎり夫婦間で解決して欲しいと逃げ腰になるのは罪ではないと思うのだ。
けれども、老老介護といった時代語が表すように、互いに老いた状態で身の回りの介護を行う精神的体力的な限界はある……。
それに加えて、夜中の徘徊などがおこれば、それこそ老老介護はたちまち頓挫してしまう。


あることがきっかけで、とある老夫婦と出会った。
そして、私はその老夫婦が忘れられない。
何が忘れられないのかというと、老いた愛である。
肉体的に老いても、夫婦愛は老いることがない。そんな…〝すてき〟を、ドロドロとした老老介護の中に垣間見たのだ。

70を超えた頃の老夫婦。要介護5の認定を受けた妻は統合失調症と多発性脳梗塞を発症して自宅で寝たきりの生活を余儀なくされていた。
その妻を支えるのは同じ年の頃の老いた夫である。
夫は主介護者であり、もちろん介護保険制度を利用していた。

親の介護が原因で親子の縁が切れてしまったというのはつまり、夫婦の一人娘が寝たきりの母親を施設に入所させようとした計らいに対して、夫が憤慨してしまったのだ。
長年連れ添った妻を、高齢と精神疾患発症により安易に施設入所や閉鎖病棟での余生を過ごさせることは、まるで姥捨山に置き去りにしてくるような気持ちになったからだ。

親の介護は机上の論理では解決できない種々の問題をはらんでいる。

物理的に介護が困難、子どもも親の介護には積極的ではない……この場合、施設や医療に支援を求めるのは自然な発想かもしれない。
ただし、母親の高齢化問題をただただ合理的に解決しようとする娘の考え方に、夫はキレてしまったのだ。
「それなら施設に入ってもらえばいい」
その一言に、夫は〝おまえの世話にはならない〟と心に決めたのだろう。

身体的にも精神的にも他者の言うことを聞いてくれずに周囲を困らせる…と、表面的に見えるのは他人感覚だ。
老いた夫にはわかるのだろう。
老いた妻の精神症状の向こうに愛する妻の心が存在することを…

そんないきさつで、夫は自宅介護を決断した。
この超高齢化時代、自宅で高齢者を看ることは社会的には価値のあることだろう。だが?現実は厳しい。
精神症状と身体的症状は、容赦なく夫婦愛を〝試す〟
高齢症状に言わされた罵倒でも、疲弊した夫の心に直撃すれば正気では居られなくなる。人間は強いようで弱いのだ。

夫はいつしか酒を浴びるようになった。訪問介護者にも愚痴をもらすどころか感情的に当たりちらす日々が続いた……。
ホームヘルパーへの偏執的な態度は日に日にひどくなり、若い女性ヘルパーには酔っ払いながらのハラスメント行為も見受けられるようになった。
ただ、夫がそういう態度に出るときは決まって妻の状態が悪いときに限られた。反面、妻が明るい笑顔さえ見せるような状態の時は相対的に夫もシャンとしていた。

もう、夫自身が疲労度や内面的な不安をコントロールできないほどくたびれていたのだろうか。

食事や排泄、着替えなど日常生活がほぼ一人ではできないので、ホームヘルパーが毎日やってくる。しかし、ホームヘルパーがいないときにオムツが汚れてしまうことだってあるのは当然だ。そんなとき、夫がオムツの交換などの介護をするのだが、酒に酔った夫にはまともな手順で介護することなどできないから、ここに家庭内介護の薄暗いストレスや疲労や不満に不安と怒りなど、介護する側の感情がドロドロと渦巻くのだ。

その反動からか、ホームヘルパーが訪問したときにストレスをぶつけてしまう。悪循環だ……。
人は言う、自分で介護すると言ったのはだれだ?
言ったからには責任を持って、まして、介護ストレスを酒でごまかすなんて?できないのなら子どもが意見したように施設に入所させるか統合失調症を理由に閉鎖病棟で過ごさせればいいじゃないか?


とある理由で、この夫婦と関わった。その理由は別として、私はこの夫婦の切れ切れの評判だけで嫌悪感を抱くことができなかったのだ。

夫は若かりし頃と同様、妻のことをチヨちゃんと呼んでいた。
そして酒に酔いながらもいつも妻に語りかけていた。
床から夫をじっとみる妻も、その語りを聴いている。つまらない話ばかりなのだがとにかく、夫婦は空中で会話しているような不思議な光景をかもし出していたのだ。


ある日のこと、夫は一枚の写真を見せてくれた。
「ほら見てみろ…チヨちゃんが若いときの…どうだ…?」
なーんて誇らしげに写真を見せる夫に、私は計り知れない強い愛情を感じてしまったのだ。夫婦ってなんだ?愛情ってなんだ?
寝たきりの状態で妄言を言い、ときに夫を罵倒する毎日。
つらくないわけがない夫は酒を浴びながら色あせた写真をお守りにし、自宅介護をかたくなに貫き通す。

他人から見れば自宅介護にはなっていないとの評価だとしても、きっと彼はそういう評価は気にもしていないのだろう。
ずっとそばに居る。
ただそれだけのことが彼が余生に約束した、生きる意味なのだろうと思った。
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