そんなもの……「べつだん、一義に帰省しなくたっていいじゃんか?」というのが私の本音だった。
もっとも、体裁を保つだけというのは言い過ぎかも知れない。その気持ちの中には嫁を連れて帰ることによって〝しっかりやってるよ〟と両親にアピールしたい親孝行もあったんだろう。
夫への否定的感情が走る一方で、夫の気持ちはわからないでもない。
とにかく、夫の実家について行くたびに混乱していた私。
行った先では私は完全に孤立する。
自分とは文化が違うような……そういった気持ちになるのだった。
義実家にて――
かわいい一人息子が帰れば、彼の両親はとっても嬉しそうだ。とっても嬉しそう、ではなくて、そうとう嬉しそう。とするのが適切か?つまり、過保護に育てられた子供時代の親子像が、まんま今も健在のようだ。
そういう親子像を目の前でマジマジと見せつけられている私は、とにかく〝ういていた〟と形容するのが妥当だろう。
そうして、ポツンと浮いている私に出来ることは、話に参加することではなく終始ニコニコしながら〝うなづきと相づち〟を絶やさぬこと。
親族でありながら他人とも言える私は、この何とも言えない親子像をまじまじと観察していた。
夫の両親はとにかく息子を交えた会話に明るい花を咲かせている。幼少期だった頃のかわいさ百倍の親の愛情は、百倍のまんま愛情のカタチを変えずして今も健在。
子供時代に得意だった図工や創作は現在の職業にも有り余るほど反映されていて〝やっぱりこの子はすごい〟なんて、嫁を前に真顔で言うのだから私も真顔で〝うなづきと相づち〟で返すしかないじゃないか。
その一方で夫の態度はと言うと……
両親からちやほやされて少しはシャンとするのかというとそうでもないのだ。
豪勢な朝ご飯を出されても新聞を読んだまんま身動きさえしない。
「ねー、新聞は置いといて先にいただこうよ」
すると、少々不機嫌な面持ちで箸を持つ夫。
とそのとき、義母さんが口にしたセリフはこれだ。
「この子はねー、なにかに集中してるとホントまっすぐだから!」
なんだそれ……?
ニコニコしながら息子をほめる義母さんに私の〝感覚〟はもうお手上げだ。
なにをやってもベタぼめする子育てなんだろう、で、それを所帯持ちになってもやめないということ。
それがこの一家のやりかたなんだなと思った。
ある意味で冷め切った家庭で育った私にはどうもなじめない、けれど逆向きに考えれば、そういう親子像がうらやましかったりするんだろうか?私。
義母さんは私に訊いた。
「この子の良いところ、今も変わってない?」
真顔で訊いてくる義母さんになんだか圧倒気味の私。
「ええ、変わってませんよ、家でも〝まっすぐな〟人ですよ」
――ため息が出た。
こういうのって、集中するとまっすぐな性格とは言わないだろう。
それ、TPOをわきまえない男だってことだろう?
とにかく息子をほめたおす義母さん。
とにかく無言でぶすっと誰の相手もせずに新聞とテレビだけに意識を向けている夫。
その傍らで、私は無反応の夫に変わって義母さんのお相手をしていた。
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