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結婚を後悔させる理由があふれている
それでも離婚しないのは
愛が消えぬから・・・?
「結婚なんて面倒なだけ」そんなことを口ずさんでいた夜オンナも、いつしか妻となった。そして、生まれて初めて経験する〝ひとりではない幸せと喜び〟けれど幸せなんてつかの間だった・・・結婚とは・・・後悔するもの? 過ぎゆく時間に問いを立てる・・・

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旦那にとって家族とは妻ではなく義両親なのか?


私を連れて実家に帰るまでは細かく道中の計画をたてたり、夫にしてみればワクワクする大イベントなのだろうなと思った。
ところが、いざ実家に着けば彼の態度は翻ったようにクールになる。
義母さんになにをほめられてもまるで無反応。
出された料理も手をつけずにテレビと新聞にしがみついている。
そういう息子をみて、話しかけても料理を出しても新聞をはなさない態度は〝どんなことも集中し始めるとまっすぐになっちゃう子〟と、さらにほめる義母さん。
まるで殿様気取りなのだが、こちらとしてはバカ殿にみえてしまうのだった。

そうかと言って、義母さんだって人間だ。
なにを言ってもどんなにほめても無反応一徹であれば、義母さんの意識はおまけのような存在の私に向かうことになる。
それがやっかいなのだ!私には……。
彼と結婚してもう数年になるというのに、ご近所に挨拶回りをしておきましょうと持ちかける義母さん。
菓子折を手にして今度は義母さんにつれて回される私。
「息子の嫁です―ーどうぞどうぞよろしくお願いします」
「はじめまして……」

うん…?
なんで、結婚して何年もして〝はじめまして〟なんだ?
こういう礼儀はせめて入籍した年にしておくもんじゃないのか?
それをいまさら、なんだか体裁が悪いじゃないか。
ああそうか、そういうことじゃないんだ。
義母さんにとって、一人息子が結婚した事実は何年経ってもあせることのない自慢なのだった。

――大人びない夫の態度、このままずっと子離れしないであろう義両親の態度。そういう他家の異文化のようなものに摩擦を繰り返す私だったが、里帰りが終わればようやく解放される。
帰り際、駅まで送りましょうと登場した義理の姉。
この人は、夫とは違い当たり障りのない適度な人当たりの〝ふつうの人〟だ。
私にしてみれば義理の姉の登場で幾分、心穏やかにはなった気がした。
がしかし、義姉の運転する車の助手席には義母。後部座席には私達夫婦。車に乗り込むと駅に着くまでの間中、夫の幼少時代の話をしゃべり続ける義母にはうんざりだ。
うんざりだが、突然、振り向かれたときに私のうんざりな表情がバレてしまってはいけないから〝もうひとふんばり〟と自分に言い聞かせて作り笑いをキープする私だった。

ようやく駅に着いた私たち。
さあ!おわったぞ。がんばったじゃないか、私。
開放感に包まれた私の前で、最後に印象深い彼らの親子像を見た。
これでなにかたべなさいと言いながら夫の手を握り一万円札を握らせた義母。
そんな親子の関係に私が偏見をもっただけの話かもしれない。けれど、そのときポッと浮かんだ言葉は〝溺愛〟だ。
一人息子をかわいがる母親の心理について、私のようなひよっこが理解も共感もできやしないが、正直、違和感があった。
だって、これといった手土産も持たずに実家に帰る夫。
帰ったら帰ったで仏頂面でなにを話すでもない夫。
その一方で、最後の最後まで一家の宝のような存在でかわいがられ別れ際には大きな子供にお小遣いを渡す義母。
だから正直、違和感を感じたのだ。


夫の両親はきらいではない。
けれど、一緒には暮らせない。唯一、自然なスタンスで話をできそうなのは義姉だけだろうな……。
彼らの家族愛は深い。
でもまてよ……私と夫だって家族じゃないか?
それなのに家族愛の深さにこれほど差を感じてしまうのはどうしてなんだ?
私は夫のことを家族だと思っている。
では夫が家族だと思う対象は誰か?もしかすると妻である私ではなく義両親や義姉なのかもしれない……。
そういうことを帰りの電車で考える私だった。
そして、考えれば考えるほど、私は一人ポツンと取り残されていく心情にはまるのだった。
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